安田まゆみの気まぐれ日記

2013年04月22日

父の終末期の医療を想う5


父のお墓詣りに長野の善光寺さんに、行ってきました。

父は善光寺雲上殿にあるの納骨堂に眠っています。
桜が盛りを迎えていて、それは見事でした。
「お父さんも喜んでいるね」と母。

訪れた日は、気温も上がり、
盛りの桜の下で、スケッチする人あり、お弁当を広げる人ありで、
のんびりとした時間が流れていました。

今回は、母と妹と娘の女4人旅。
お墓詣りの後は、桜ツアーと温泉を楽しみました。


亡くなって3年が経ちましたが、
やはり善光寺の父のところに来ると
終末期のことをいろいろと思いだしますね。

父の終末期はホスピスで緩和ケアをしていただき、
家族で看取りました。
私は初めてでしたので、
看取りとは、そういうものかと今まで思っていましたが、
看護師の妹が終末期の医療にもいろいろな考え方があるのだということを
父の思い出とともに話してくれました。
妹は、今も終末期の医療に携わっています。

3年たった今だから言えることでした。
この話を受け取る私の心を考えてのことでしょう。

母のいないところでの会話になりました。

終末期、父は意識の低下がみられてからは、一切の水の摂取をしませんでした。

私たちからは、水が摂取できないのは、苦しそうで、かわいそうに思えました。
加湿したり、口を湿ったものでうるおしたりと工夫しましたが、
見ていてつらいものがありました。
でも、そういうものかと思っていたんです。

妹は、確かに口からの水の接種は避けたほうが良いとは思うけれども
末期であるとはいえ、過剰でない程度の水分を点滴などでいれてもよかったのではないか。
そのほうが苦しみは、少なかったのではないかと思う、と。

平穏死の本などでも、「脱水は友」。脱水状態になれば
体が省エネモードになって、体に貯蓄されている水分が使われるから、
そのままでも大丈夫なのだと。
緩和ケア病棟でも、そういう方針の病院もありますし、そうでないところもあるんですね。

素人には、難しい話です。

「平穏死 10の条件」の中で
「脱水を黙ってただ見守ることは、現実的には、結構勇気が要ることかもしれません」
とありました。
本当にそうでした。

ホスピスでは
夜は私と妹が交代で泊まり込んで、日中は母がずっと父と一緒にいました。
スタッフも気持ちの良い方ばかりで、
母は、この病院で父を看取ることができたことを喜んでいました。

とてもよくしていただいたと、今でも思っていますので、
妹は考えの違いがあることを母には言えなかったのだと思います。

まあ、言わなくてもよい話ですからね。

でも、私は、いま、エンディングメッセージ普及協会を立ち上げ、
その理事長として、終末期の医療についても勉強したいと思っていることを
知っているので、話してくれたのだと思います。

末期のあり方について、考え方は一つではないのだということを
3年後の今になって教えてくれたのは、
後悔につながらないようにという妹の配慮です。

グリーフケアというには大げさかもしれませんが、
時間が必要なのだ、ということも今回よくわかりました。

終末医療の現場にいて、
毎日、終末期の人を見ている妹から話を聞けて、良かったです。
父の死は、私にたくさんの課題を投げかけてくれました。
今も、です。

お父さん、ありがとう。



お墓詣りの翌日、長野市の南部にある蓮台寺に行き
樹齢約450年の1本桜(しだれ桜)を見てきました。
その高さといい、枝振りといい、花の色といい、見事!でした。
その美しさ気高さが伝わるとよいのですけどね。
04蓮台寺の山門前のしだれ桜その1


Posted by MAYUMI YASUDA at 07:00│Comments(0)TrackBack(0)

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