安田まゆみの気まぐれ日記

2012年11月26日

フクシマと水俣 25


23,24日と全国女性相談研究会の一員として、
フクシマの仮設住宅に被災地訪問に行ってきました。
この会は、DV被害者支援団体代表、助産師、カウンセラーなどから構成された
「女性相談」の専門グループです。

被災者の方々の辛い体験を
次の震災(起きない方が良いですが)に活かすために、

震災の日、何が起きていたのか、そこでなにを感じたのか。
今、仮設住宅で、家族の中で、地域で、何が起きているのか
のヒアリングをしています。

お聞きした内容をまとめ、現在の環境改善も含めた、災害時の支援の在り方などについて、
国や自治体への私たちの会なりの提言を作成しています。

活動目的である、非常事態の状況下で声を出しにくい女性医の声や意見を聞き
女性や子どもたちの暴力や性被害の未然に防止することにも
重点を置いています。

まだ、途中経過の段階ですが、提言を発表させていただく機会を得て
冊子なども作ってきました。
(カンパ込みでお分けしています)

来年は、もう少しディスカッションを重ねて
提言をブラッシュアップして発表会を開催しようと考えています。

私たちのヒヤリングは、
「女性限定のハンドマッサージ訪問隊」として、
手をふれあう中で、リラックスして本音を聞き出す、
というスタイルで仮設住宅の訪問を続けています。

浪江町からの依頼で、
県内に拡散している仮設住宅を訪問させていただいていますが、
浪江町の県内の30カ所全ては9月に踏破。
今回から2巡目に入ります。

昨年ヒアリングしたときには、
「皆さんに良くしてもらって、ありがたい」という言葉がよく聞かれましたが
今回の訪問では、
被災した直後のことをお話しされる方が増えてきました。

1年半経った今だからやっと話せるようになったのだと思います。

被災当時の何も知らされずに避難した戸惑い。
避難場所での困ったこと、苦しかったこと。

など、じっくりとお聞きすることができました。

具体的な内容は、会の報告をご覧いただきたいと思いますが、
自治体や国の大規模な震災への備えのお粗末さと
放射能漏れについての事実隠し、説明不足がよくわかりました。

その姿勢は、まるで、先月訪れた「水俣病資料館」で見聞きした、
水俣病についての国や県のやり方と同じ!でした。

水俣病の事件では、
国も自治体も会社のチッソも
廃液の人体に対する影響を知っていたのに、
毒を含んだ工場排水は、流れ続け、数年間も止まることはありませんでした。
そのため、水俣病事件の被害は拡大していったのです。

放射能漏れの事実を隠して避難指示を出していた、
国や東電と根っこは同じ!

50年以上たっても、国や企業の
「体面重視、命は二の次」の姿勢は変わりませんね。

出会った人たちからお聞きしたお話は、
それを強く印象づけることとなりました。



また、この原発事件は、健康や命といった体の面だけでなく
心にも大きな影響を及ぼしていることを感じます。

仮設住宅から、フルタイムで働きに出ている女性は、
仕事場で偏見の目を感じる、と、話してくれました。

仮設住宅に住んでいるわけですから、波江町の住民でありながら、
他の自治体に来て、その自治体で働いているわけです。
すると
「お金(補償金。一人10万円)をもらっているんだから、
あの人たちは、なんにもしなくても暮らしていける。
働きにこなくてもよいじゃないか」
という声が、
これ見よがしに聞こえてくる、というのです。

よそ者(浪江町の人のこと)に、地元の人の働く場を奪われては困る、
という思いが、このような言葉を発してしまうのでしょう。

言う方も言われる方も、どちらも悲しいですね。

彼女は
「あの家を帰してくれるなら、補償金なんて、いりません。返しますよ。
 ヤドカリやカタツムリになれたらと思います。
家をしょって、移動できるから。それが出来たら、どんなにいいか・・・」と。



24日、福島市にのホテルに泊まっていた私たちは、
早朝に大きな地震の揺れを感じました。

いま、また、大きな地震が来たら、あのフクシマ原発はどうなるのでしょうか?
首都圏まで被害が及ぶと聞いています。

仮設住宅の方の体験が、
「他人事」とは思えません。

小さな団体の小さな提言でもきっと役に立つことがあると信じて、
私たちのやり方で、フクシマ支援を続けていこうと思います。
(とは言っても今年の支援は今回が最後です。雪の降る間は、
物資をもっては行かれません。雪道の運転ができるメンバーがいませんのでね。
すべて参加者が持ち出しのボランティア団体ですから、
経費の嵩むこともできません。次回は年明けの雪が解けたころになります)

フクシマに継続的な支援をしている団体は少ないのだそうです。
原発問題が解決しない限り、「復興」ということにはなりませんし、
県内も複雑な事情を抱えていますので、どこをきっかけに支援をしてよいのか、
わからないのかもしれません。

小さな支援でも、良いのだと思うんですけどね。
行動あるのみ!

なにか支援をしたいと思われる方は、私たちへのカンパを!

支援物資を運んだりするためのガソリン代や
高速代に使わせていただきま〜す。
報告集もお売りしていますよ

お問い合わせは、下記アドレスまで。
joseisoudan@yahoo.co.jp

安田のブログを見たよ〜と書いてくださいね。

写真は、仮設の集会所に張られていた
「売り家」の案内です。
いわき市内の民家で530坪、1億円の評価がある家を
最低4900万円からの入札で。帰還困難者にお売りするとのことでした。
内装もきれいにリフォームされているようですし、家具もピアノもついているそうです。
「代替住宅がいつ、どこにできるか決まらない間は、
 家を買う気にはならないわねぇ」ですって。
11仮設の集会所に張られた売り家情報
  

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2012年10月30日

フクシマと水俣

「水俣病資料館」に行ってきました。
福島の原発事故と通じるものがあると思ったからです。

実は、セミナーのご依頼があって、
熊本に行く機会を得ました。

午前中と午後に、計2回のセミナーでしたので、
前泊することになりました。

この前泊のチャンスを活かして
真っ先に行きたいと思ったのは
水俣病資料館」でした。

フクシマの原発問題との
共通点は「人災」、「事故隠し」
「風評」や「差別」だと思っていました。
それを確かめたくて
水俣病が発症した地に行きました。

展示の中に、福島へのメッセージもありました。
同じように感じている人たちが、やっぱりいたなぁ、と思いました。

そのことを
受付と館内の案内そしてくださっている方に伝えて、少しお話をしました。
(だって、その時、ほかに見学している人がいなかったんですよ〜)

50代のその女性は、
お友達の女性が、出身地が水俣だということだけで、
結婚が破談になったとう話を聞かせてくださいました。

それを聞いたときに
「ヒロシマ、ナガサキ」の女性たちの顔が浮かびました。
(編集者時代、何ども彼女たちをインタビューしましたから)

次に、小学生の娘さんを持つ福島のお母さんの言葉も思い出しました。

「福島の戸籍を変えたい。
 将来、子どもが福島出身だということで、
 結婚できなくなってしまっては、かわいそうだから」と、
そのお母さんは言ったのです。

良いも悪いも、これが現実です。

私が水俣病に関心を持ったのは、
「胎内水俣病」患者が、ほぼ、私と同じくらいの年だったからです。

水俣病が認定されたのは、昭和31年。
私の生まれた翌年のことです。
「胎内水俣病」の人たちはほとんど私と同じ年。
とても他人事とは思えませんでした。

水俣の毒は、
お母さんの体を通して、胎児により多くいき、
生まれたときには、水俣病になったいたのです。

お母さんたちの手記が残っていました。
それぞれ、要旨だけ伝えると

「生まれてくる子どものために、一生懸命魚を食べたのに・・・」

「亡くなった子どもを、これからの医療に生かすということで、
解剖することになった。
解剖室に行くと、医者は『そこに置いて』と」

(安田注:まるで物のような扱いだったみたいですね)

「解剖されて、包帯でぐるぐる巻かれていた。
中身が無くなっても、この子は私の子だ。
タクシーも乗せてはくれなかった。
この子を抱いて、線路沿いにずっと歩いた」

どんな思いだったろうと思います。
毒の魚を食べても、自分は水俣病としては軽く済んだ。
その分、子どもが重症の水俣病になった。
母親は自分を責める。
そのうえ、解剖に回されても、冷たくされる。

そんな思いだったのだろう。
そう考えただけで、
涙が止まりませんでした。
(だれも周りにいなくて、よかったですぅ)

中毒の原因がチッソの工場廃液だと疑われたのに、
13年間も会社が認めず、廃液は流れ続けたのです。

今も同じようなことが行われていると思うのですが・・・。

資料館の方に、
海に向かって廃液の流れ出ていた排水溝が
今もあるから、そこも見て、お帰りになっては、と言われて
その排水溝も見てきました。

住宅街にありました。
今は、生活排水が流れているだけでした。


垂れ流し続け、貯まった有害なヘドロは、
結局、ふたをするかのように埋め立ててしまったのです。
その埋立地は、なにもなかったかのような
美しい公園になっていました。
東京ドーム13個分。

資料館はその公園の中にありますが、
海側の一番はずれにひっそりと立っています。
公園の入り口のバス停から20分以上歩かないと行きつけません。

熊本からは、新幹線に乗って、30分。
1時間に1本しかないバスに乗って20分、歩いて20分。

「ついで」というには、かなり遠いところではありましたが、
行ってよかったです。

自分の目で確かめることができたし、
地元の人とも話ができて、本の一部でも、知ることができて
本当に良かった。

PS
資料館の女性とは、実はちょっとしたつながりがあったんです。
最期にわかりました。ふふふふ。
そのうえ、なんともう一人、偶然の出会いが・・・。
排水溝を見に行ったとき、ちょっと道に迷ってしまったので、
道行く女性に道を聞いたのですが、
実は、その人は私の仕事とつながりがあったんですよ〜。
偶然にしてはできすぎ!なくらいビックリな出会いでしたが、
これが「ご縁」というものなんでしょうね。






  
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2012年09月29日

福島の仮設住宅でフクロウをいただくの巻 訪問記その25

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先週末に行った福島の仮設住宅で
かわいいフクロウをいただきました。

集会所に飾ってあったので、
かわいいなぁ、素敵だなぁって言っていたら
「どれどれ、このあたりが、顔もかわいいんじゃないの」って、くださったんです。

むりやり「おねだり」したわけじゃありませんよ〜(o^∇^o)ノ
(まあ、下心はありましたけどね。へへへ)
遠慮なくいただいてきました。

かわいいでしょ。
端切れで作ってあるんですけど、どまり木は本物の木です。
住宅の男性陣がちょうどよい大きさに切って下さったのだとか。


今回訪問した仮設住宅では、折り紙や手芸が盛んでした。


高齢者の女性たちは、田んぼや畑や牧場という働く場所を奪われてしまって、
狭い仮設住宅に押し込められた状態で、
1年半もの間、
ただ、じっと何かを待っているだけの生活から
変わりたかったのではないかと思いました。

お野菜作りもそうだけど、
避難先で、「何かしてもらう」立場から、
自ら作り出す立場になりたいと、そう思ったのではないかしら。

手芸や折り紙って、形になる喜びがありますよね。
小さなものでも完成させられる達成感。

遠い将来の先は見えなくても
明日への希望は見えます。

折り紙が、明日には完成させられる。

ナスやトマトの花が、明日にはまた一つ咲く。実る。

問題は何も解決していなくても
小さな行動を起こすことから、
未来をかえる力がわいてくる、そんな風に、私にはみえました。
(うまく言えないんですけど)

仮設住宅には、若い人たちがほとんどいません。
働き盛りの人たちは、仕事がある方へと出て行ってしまって。
高齢者が残されている、そんな感じでした。

でも、手芸や折り紙をしている高齢者の女性は
目がキラキラとしていて、楽しそうでした。

前に進む、エネルギーを感じました。
まだまだ長生きすると思いますよ。
元気だもん、彼女たちは。

「毎日楽しくて。この仮設住宅で良かった。
みんな姉妹みたいなんだよ」

とニコニコしていうおばあちゃんもいました。

女は強いぞ!



フクロウはこのように飾ってありました。

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09仮設住宅訪問での手芸作品


  
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2012年09月24日

女相研、浪江町の仮設住宅30か所すべてを訪問達成!ですぅ5

09仮設住宅の掲示板



22日、23日と福島県二本松周辺の仮設住宅5か所に
行ってきました。

私が所属している「全国女性相談研究会」では、
昨年の震災以降、埼玉スーパーアリーナをはじめとして、
ハンドマッサージをしながら、女性ならではの悩みなどの聞き取り調査を続けています。

9月23日は、浪江町に依頼され、約束していた
県内外にある浪江町の仮設住宅30か所すべての訪問を果たしました
素晴らしい!!
(毎回、町役場の方が、私たちが訪問するお知らを掲示板にチラシを張ってくれます)

雪の降る時期を除いて、自家用の車が手配できないときは
バスや新幹線などを使いながら1年数か月をかけて、
ずっと通い続けたメンバーの地道な努力に頭が下がります。

また、そのメンバーであることを誇りにも思います。

私は30か所のうち、たった8か所を回らせていただいた程度ですけど、
30か所すべてもまわったメンバーが2人もいるんですよ。
この素晴らしいメンバーとともに訪問してきました。


今回は、
22日、23日の2日で、二本松周辺の5か所を訪問しました。
(2日で5か所はちょっとハードでしたけど)

詳しい聞き取り調査の内容などは
全国女性相談研究会のHPを見てくださいね。
まだ、調査報告を浪江町にしていないので、発表できないですから。
簡単な感想とエピソードをお伝えします。


今回は5人で、メンバーの自家用車に、
支援物資として寄付してくださった鰹節と口紅や化粧下地などの化粧品、
ハンドマッサージ、ネイルなどの道具に、お茶やお茶菓子を詰めて、
片道4時間かけていきました。

ハンドマッサージ班のメンバーは
ちゃんとリフレクソロジーの資格をもっています。
(みなさん、本業は別です。この活動のためにお金を出してきちんと資格を取っているんですよ)

の反射区から、不眠や肩こりなどの体調についてもわかるので、
自然に相手の人から話が聞けます。
これも大事な聞き取り調査なんですよね。

私は住宅を回って、呼び込みをする係と
接待(お茶出しと支援物資配り)とアンケート係。

聞き取り調査もアンケート項目はありますが、
「お話聞かせてくださいね〜」から始まり、
体調の変化や現状を聞く中で相手がしゃべりたいことの中から
困ったことが口からぽろっと出たときに
ポイントを押さえる程度にしているので、
本当に、話を聞いているだけ。
(方言が強い方の場合は、なんとなくわかる程度です)(。・ω・)


仮設住宅が出来て1年ちょっとで、
女性の集団として
心の通い合えているところと
まだ時間がかかっているところと、仮設住宅ごとに違いはありました。


深刻な話も多いのが現状ですが、
女性限定ですし、そこはそれ、女性同士、遠慮のない会話もありますから、
笑いに包まれていることが多いです。

ユーモアがある会話がよく飛び交うところは、やはり落ち着きや心の余裕などを感じますね。

ご夫婦仲や住宅内の人間関係の問題について話題に上った時に
ニコニコしながら

「うちは仲いいよ。楽しくやってるさ。子供できるしんぺいねいからさ」と発言したのは
70代後半の女性。オオーw(*゚o゚*)w

そばにいた人は数秒「?・・・」。( ̄ー ̄)ニヤリッ
そのあと大爆笑!
「やだよぅ〜、この人は。がははは」

てな調子で話が進む仮設住宅もありました。


50代以上の人が多い仮設住宅の場合、
支援物資としての化粧品は、ちょっと遠巻きにしながらも
気になるようで、
「もう、口紅の引き方も忘れちゃったよ」とか最初はいうんですよ。

「いや〜、せっかく、皆さんに美しくなってもらいたいと化粧品の支援があるのですから〜」
といって水をむけると

「そんじゃぁ、父ちゃん、びっくりするから、一人で出かけるときにつけるかな」と
口紅あたりから、手を伸ばしはじめます。

この時の掛け合いが私はとても楽しいんです。
だって、
「あんた、いくつよ」と聞かれて
「昭和30年生まれです」っていうと
「若いね〜」って言ってくれるからで〜す( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


大切なお金は、生活に必要なものしか買わない、と決めているからこそ。
化粧品は、自分では買うと言い出しにくい。
そんな.化粧品を選ぶ楽しさを味わう女性の顔を皆さんにお見せしたいです。

そりゃあもう、目がきらきら!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

ハンドマッサージ以外にもネイルの施術もやりました。
60を過ぎた方々の人生初のネイルに
みなさん、とっても若返りましたよ。

女性縄わかりますよね。
自分の手がきれいになるときの喜びって。

「父ちゃんに見せて、今日は夕飯の片づけできないから、父ちゃんやって、っていうんだ」
という人もいましたよ〜(* ̄∇ ̄*)



今回の訪問した仮設住宅でであった人は、圧倒的に50代以上の人が多く、
平均年齢は60代半ば、だったであろうと思います。
ですから、
住宅ローンの問題や、今後の働き先、子供の将来などの悩みの話は
あまり聞くことは来ませんでした。


高齢者の方たちは、

「いつうちに帰れるのか、はっきりさせてほしい」という宙ぶらりん状態のへ憤り。

「こんなこと(原発事故)で、家に帰れないなんて!」という悔しい気持ちが

心を占めているように思いました。



おいしい頂き物やもらい物のお話もまだまだいっぱいあるんです。
続きは、また後日。お楽しみに。ヾ(=^▽^=)ノ


こんな私たちの活動に
ぜひ、皆さんのご支援をお寄せください。
お国のひも付きはいやだなぁ、と思っているので、
活動費は、個人のカンパが中心なんです。
みなさんの1000円2000円がありがたいです。(●´ω`●)

寄付の送り先は
ゆうちょ銀行 口座 00130−3−441335
加入者名  全国女性相談研究会

マッサージのオイルやお茶菓子、ガソリン代に使わせてもらいま〜す。

下は、ハンドマッサージの様子。
人生初のネイルの記念写真に、私もわたしもとみんな寄ってきた様子です。
どれだけ、楽しかったのか、わかるでしょ。
(ちょっとお顔もうつっちゃったので、モザイク入れました。へたくそでごめんなさ〜い)

09集会所でのハンドマッサージの風景


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2011年12月01日

福島の仮設住宅に訪問支援をしてきました5

こんにちは。マネーセラピストの安田です。


11月26日、27日と福島の浪江町の方々が
避難している仮設住宅に訪問支援をしてきました。

SH3L0128


この活動は、私が所属している全国女性相談研究会が
実施している活動です。

全国女性相談研究会(以下、女相研)の成り立ちはこちらを見てくださいね。


主に、避難所での女性や子どもに対する暴力被害を
未然に防止するための活動や
非常事態の状況下で、声を出しにくい女性や子どもの意見を聴きとり、
被災者の生活改善、復興へのエンパワーメントを行うことを目的としています。

実際には、
浪江町から仮設住宅訪問の依頼を受けて、
ハンドマッサージを行いながら、
被災者への被害の防止・啓発、
ニーズの聴きとり、
支援物資の提供と環境改善提言を行ってきました。


私の場合は、埼玉や東京の避難所に行ってはいますが
福島は初めて。
ちょっとドキドキしながらみんなについていきました。


26日は比較的小規模の仮設住宅2箇所。
27日は、戸数の多い仮設住宅1箇所を回り
化粧品や洗顔石鹸などの支援物資を届けました。

それぞれの集会所でハンドマッサージをしながら、
聞き取りをすることになっていましたが、
26日に行ったところでは、
ちょうど断熱材を入れる工事をしていて
集会所は資材置き場になっていました。

浪江町の方には、話が通っていって、集会所に
私たちが来ることも張り出してあったのに・・・。(´;ω;`)

でもせっかくきたのだからと
集まってきてくださった方と
立ち話をしながら、
立ってハンドマッサージを始めました。
ふふふふ、どんな環境にも負けない、
女相研のメンバーたちですよ〜(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
くわしいことはこちらも見てね

27日に行ったの仮設住宅では、
集会室は使えました。
そこで、
84歳で背中がピンと伸びている素晴らしい女性にお会いしました。
日舞を教えていらっしゃった先生です。

聞けば、東京の深川で生まれたとか。
私の住んでいる地域だったので
そのことをお伝えすると、とても喜んでくださいました。

こんなことってあるんだねぇ、と
懐かしいわぁ、と
手を握りながら
何度も繰り返してつぶやいていらっしゃいました。


私たちが訪れた仮設住宅にお住まいの方たちは
津波に被害ではなく、原発の被害にあわれての避難のためか、
「戻れるのか、戻れないのか、はっきりして欲しい」との国への要望が
多く聞かれました。
東電の補償金や労働問題、これからの生計など
詳細を書くことはできませんが、
女性ならではの厳しい現実や
様々な問題も聞くことができました。

どのような問題が現実に起きているかは、
12月3日の13時半から
港区のリーブラで「福島の女性たちの現状と課題」と題したシンポジウムで
仲間がお話をいたします。

ご興味ある方は、是非、おいでくださいませ。

お申し込みは、主催の港区男女共同参画センター
03-3456-4149まで。


2日間とも天候に恵まれて
見事な紅葉も見ることができました。

私たちへのご褒美なんだなぁ、って思ってみていました。


避難しているところは雪が降るので、
入り口は、雪よけが付いていました。(写真でわかるかしら)
透明の建材で、飛び出して見えるのがそれです

お子さんのいるお家では、
雪よけのスペースに
小さなクリスマスツリーが飾られていました。



  
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